【歴史】米国は第3の原爆投下を計画していた 標的は「東京」 [しじみ★]

1:2020/08/10(月) 18:39:49.97ID:V2WLcpbx9 ■1945年の夏、米国は広島、長崎に続く準備を着々と進めていた

1945年の夏、米国が世界で最初の原子爆弾を投下したとき、戦争は永久に変わった。たった1個の爆弾が、都市とその住民を丸ごと消し去ってしまう時代が訪れたのだ。

 米国は、7月にニューメキシコ州の砂漠で原子爆弾の爆発実験を行った後、8月に日本の広島と長崎に原爆を投下した。だが、長崎への投下から日本が降伏するまでの6日間、米国はこれで終わりとはまだ考えていなかった。次の原爆投下は間近に迫っていた。

 長崎への投下で米国は原爆を使い果たしており、降伏しなければさらに原爆を落とすというのはハリー・トルーマン大統領の脅しだったとする主張が根強くある。しかし、それは決して単なる脅しではなかった。

 第二次世界大戦末期、米国はできる限りの原子爆弾を製造していた。そして日本が降伏する直前まで、第3の原爆を落とす準備に入ろうとしていた。1945年8月15日に日本が降伏するわずか数時間前、米国時間では14日、英国の外交官を前にトルーマン大統領は沈痛な面持ちで、第3の原爆投下を命令する以外に「選択肢はない」と漏らしていた。戦争があと数日続いていたら、第3、そして第4、第5の原爆投下の可能性は著しく高まっていた。

 米国の計画では、2発の原爆で戦争が終わるとは考えられていなかった。核兵器に加え、日本の本土決戦が必要になるだろうと予測されていた。原子爆弾は強力な新兵器とはなるかもしれないが、それが決定打となるのか、日本の戦意を左右しうるのかは、まったくわかっていなかった。

 日本の通信を傍受していた米国は、日本の内閣上層部の意見が割れていることを承知していた。1945年半ばに内閣の多数派を占めていた軍部は、米国を「流血」させ続ければ米国民はやがて戦争に飽きてくるだろうという淡い期待を抱いていたが、「和平」派はこれを愚かな戦略と考え、そんなことをすれば日本が崩壊してしまうと危惧していた。

 もし米国が日本の降伏を引き出すなら、軍部の支配を切り崩す必要がある。これまでの空襲作戦だけでは十分ではない。米軍は1945年3月から何度も日本の都市に対して空襲を行っていた。

 東京大空襲では、一夜にして10万人以上が死亡したとされ、数百万人が家を失った。ほかにも7月までに日本各地で60カ所以上が空襲を受けていたが、日本が降伏する様子はなかった。直ちにその態度を変えさせるには、原爆が革命的な武器であることを日本に理解させる必要があった。

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Author: kokohenjp

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